当社の創業のきっかけとなった「エンドユーザーへの提案型営業」はこうして始まりました。
はじめまして。
インフォメーションタスクフォース株式会社の代表取締役をしております竹内です。せっかく弊社のホームページを見ていただいた方のために、少しでも私たちの会社の事を分かっていただこうと、コラムを書かせていただこうと考えました。稚拙な文章ではございますが、お読みいただければ幸甚です。
1980年頃の日本のIT業界
さて、当社は2001年の2月に設立創業いたしました。たまたまではありますが、設立日は2月14日「St.バレンタインデー」です。創業時のメンバーは、元々同じ会社で働いていた同僚達です。東京にある大手のソフトウェア開発会社で営業担当をしていました。
営業担当といっても、いわゆるセールスマンとは少し違っているものを目指していました。それは、単に物売りに徹するのではなく、お客様が望んでいる物を汲み取り、問題解決はもちろん、その先のビジネスモデルに至るまで企画してご提案する「提案型営業」というスタイルを目指していました。
事の発端は、私がまだ20代の頃から始まります。当時の日本のIT業界は、業界構造がきっちりとしたピラミッド型の構造をしておりました。大手金融機関や通信事業者などのビッグ・エンドユーザー企業を頂点として、システム開発を受注する元請け会社として大手のコンピュータベンダーがあり、さらにその関係子会社、そして中堅ソフトウェア開発会社、ベンチャー企業と裾野が広がっています。
私たちは、ソフトウェア開発の分野で仕事をしていましたから、ピラミッドの裾野に位置していたわけです。日々、ソフトウェアの開発に取り組んできましたが、いつの日からか疑問を感じるようになってきました。
「今開発しているこの機能は、本当にユーザーにとって使いやすい姿をしているのだろうか?」
当時私は、デジタル交換機のシステムを開発していました。通信機器ベンダーは各社とも自社製品の高性能性を競う為に新機能の開発に躍起になっていた時代でした。その為、いつの間にかテンコ盛りのスペックがビジネスフォン端末には盛り込まれるようになり、とても複雑な操作をしなければ使いこなせないような商品になってしまっていたのです。
生まれて始めての提案書作りはマッキントッシュ
ビジネスフォンの高度化は、企業内のネットワークを急速に成長させ、同様にその流れは、国内の公衆網の機能にも受け継がれていくようになりました。私は、通信機器の開発で得た知識と、自分流に考案した電話サービスの実装に関する論文をまとめてみようと思ったのです。きっかけは、あまりに複雑化した電話サービスを交換システムへ実装する際の省力化、リグレッション・テスティングを効率的に行う為のツールのアイディア、そして当時ようやく使われ始めてきたネットワークを用いた分散開発の仕組み・・・
今思い起こせば、稚拙な内容でとても恥ずかしくなってしまうのですが、それでも夢中で300ページほどの論文を半月近くの時間をかけて作成しました。特に覚えているのは、自分の考えている事を何とか読んでくれる方に分かっていただく為に「図」を描きたかったこと。当時のワープロでは罫線を用いた描画程度しか出来なかった為、1984年に発売になった初代Macintosh(マッキントッシュ)を手に入れ、まだプロトタイプだったSuperPaintを用いて図表を描画しました。もちろん初代マッキントッシュは日本語OSがまだなく、PageMakerすらもありませんでしたから、図表を描く事だけに使用しました。
作成した図表をプリンターで紙に出力し、それを鋏で切り取って、「一太郎」で打った日本語の論文にペタペタと糊で貼り付けて原稿を作りました。まさに文字通り、「コピー&ペースト」を手作業で行っていたわけです。
通研への掟破りの飛び込み営業
マッキントッシュを使った図表の描画はとても楽しいものでした。反面、日本語ワープロでの編集作業はとても苦痛に感じました。それも当然といえば当然の事だったかもしれません。初代マッキントッシュは、メモリが128Kbyteしかなく良くシステムダウンしましたが、それでもアイコンによる表示やマウスを使ったオペレーションは、当時主流だったIBM PC/ATコンパチ機やNEC PC9801シリーズのキーボードオペレーションとは、全く異なる高次元の操作性を提供してくれました。
何日も徹夜作業で提案書を作成する事が出来たのも、マッキントッシュを操作する事が楽しかったから出来た事だったかもしれません。
さて、そうやって苦心の末に完成した提案書ですが、誰に見てもらおうかと考えた時に思いついたのが、なんと三鷹市にある某大手通信会社の研究所長に見てもらいたいと考えたのです。当時の業界ピラミッド構造の中で、トップ中のトップにあったのが、その某大手通信会社で、その組織の中の研究開発のトップに見ていただきたいと単純に考えてしまったわけです。
これはもう20年近く前の話ですので、時効ということでお許しいただきたいのですが、もちろん私はその研究所長さんにお会いした事などあるわけがなく、さらにお名前すらも知らなかったのです。でも何を考えたか、いきなり研究所の所長秘書宛にお電話をさせていただき、是非一度提案をお聞きいただきたいとお願いしたのです。エンジニアとしてしか働いた事がない20代の小僧が、よくもまあ、テレアポをする事を考え付いたものだと思うのですが、今考えれば、ピラミッドの頂点に居られるような神様にも等しいお偉いさんに大変な失礼をしたものだと反省してしまいます。
電話口で、資料だけでも受け取ってくださいとお願いをしたところ、なんと話を聞いて下さった秘書の方が、では届けてくれとおっしゃってくださったのです。早速、支度をし、製本したての提案書3冊をアタッシュケースに入れて、三鷹市へ向かったのでした。研究所に到着した時には、丁度お昼休みに入る時間でした。お昼休みになってしまっては申し訳ないと思い、急いで秘書室に伺い、資料を届けて帰ろうと思いました。
お電話を受けていただいた女性の秘書の方が、資料を受け取ってくださいました。「それでは・・・」と帰ろうとすると、「ちょっと待っていてください・・・」と秘書の方がおっしゃいます。3分ほどして戻ってこられた秘書の方が、「所長がお会いになるそうです。」とおっしゃるではありませんか。
「えっ?・・・はい。ありがとうございます。」
昼休みに入って節電のために電気が消された所長室に通されました。研究所長は、昼食の弁当に手も付けず、私の提案書を読みながらどこかに電話をされています。どこに電話をされていたのかは、そのすぐ直後に分かりました。
「ああ、ちょっとそこで待ってて」
大きな所長室の会議宅の端っこで待っていると、5~6名の所員の方々が入ってきました。
「ご苦労さん。実はさ、この子が僕に文句を言いにきたんだよ。君たちどう思う?」
その言葉を聴いた瞬間に、頭の中が真っ白になってしまいました。
(つづく)