2008年7月15日アーカイブ
江戸時代、この辺りは「浅草田圃」(あさくさたんぼ)という名称で呼ばれていたらしい。
私は浅草猿若町の生まれだが、現在はこの浅草田圃 吉原(今の地名は千束)に住んでいる。
かつて、明治時代~昭和初期の浅草には江戸時代の粋な名前が数多く残っていた。
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浅草橋場町
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浅草山谷町
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浅草玉姫町
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浅草吉野町
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浅草今戸町
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浅草亀岡町
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浅草馬道
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浅草黒船町
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浅草新福富町
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浅草森下町
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浅草新福富町
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浅草森下町
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浅草寿町
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浅草駒形町
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浅草三間町
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浅草寿町
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浅草田原町
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浅草諏訪町
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浅草新福富町
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浅草新平右衛門町
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浅草田中町
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浅草山川町
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浅草金龍山瓦町
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浅草山ノ宿町
浅草と名がつく地名を拾ってもまだまだ沢山ある。
現在でも使用されている地名もあるが、できれば風流な町名を数多く残してもらいたいものである。
私の家系はもともとは、浅草三好町に居住していたらしい。現在の蔵前辺りである。
光月町という町名の場所に、太郎稲荷が祀られていたようだ。現在は入谷二丁目になっている。その内参拝させていただこう。
さて、本題の吉原神社だが、元々は先にご案内したように田圃だらけの湿地帯だった場所に、日本橋にあった遊郭街が移転され、新吉原となったそうである。
正月の三が日には社務所が開くが、平日は千束稲荷神社にて管理されているようである。
弁財天を祀る吉原神社であるが、下の立て札にあるように玄徳稲荷様を中心に4つの稲荷神社(九郎助稲荷、明石稲荷、開運稲荷、榎本稲荷)を合祀したものとのことである。
道を挟んですぐ向かいに弁天池があり、浅草田圃の名残を感じる。

