飯田橋から九段方面へ歩くと「台所町」という洒落た名前のランドマークが目に入る。
江戸時代に御台所衆の屋敷跡があったことから台所町という旧町名がついていたという。

ちなみにこの交差点を九段坂下方面に歩くと、俎橋(まないたばし)という名前の橋がある。
この橋の名前もおそらく同じ由来が元になっているのだと思う。
この由緒正しき場所に ラーメン王に輝いた「九段 斑鳩 (くだん いかるが) 」の店舗がある。
昼時には常に20名ほどの行列ができる有名店であるが、この日はなぜか数名しか列ができておらず、早速並んでみる事にした。
列に並んでいると、店員が順番に食券購入の指示をし、かつなるべく相席にならないよう配慮しながら接客を行っている。
待つ事およそ20分。
カウンターの中央に座る事が出来た。
席に座ってから調理をはじめるようだ。
店内の雰囲気は、先ほど食券を購入した時の印象とはずいぶん違って感じた。
食券を購入した時には、何か緊張感というか圧迫感を感じたので、これは有名店にありがちな威圧系の店か?と思ったのだが、その印象が全く間違いである事がわかった。
カウンターから厨房を覗くと、店員たちが持ち場毎に整然と機械的に作業をしている。
しかし、手元を見る限り乱暴さを感じる事がなく、店主のしつけが行き届いていることを強く感じる。
さらに麺とスープをやりくりする店主の動作は、客の目線を意識しているのか、挙動に無駄がない。
無駄がないばかりか、何か、踊りを踊っているかのようなリズム感すら感じる。
なるほど、ラーメン王と呼ばれるには、徹底したこだわりが必要である事が良く理解できる。
あえて言うならラーメン王というようなメディア的な表現ではなく、むしろ鮨職人のような接客と技とが同化したような挙動である。
常に笑顔なのである。
こちらの店主が、強面になる瞬間は、麺の湯を切るために下を向くその瞬間だけだ。
顔をあげた瞬間から笑顔なのである。
こういう接客技は、上等な鮨屋かお座敷天婦羅の職人、あるいは高級なフレンチレストランの黒服にしか見る事が出来ない高等な技術である。
なぜなら、作ったような笑顔は逆効果を生みだしてしまうから。
自然な笑みで、かつ客に安心感と食事を楽しむための時間、空間を感じさせる笑みは、鏡を見て練習をしたからできるような技ではない。
この店主はただ者ではない。
『ラーメンです!』 なんと目の前で盛り付けを担当していた店員から、突然、笑顔でこう言われた。 「はい。」 思わずそうお答えして、カウンター越しに手にしたラーメンがこれである。 店主が注いだ豚骨系のスープに、その店員が魚介系の透きとおったスープを注ぎ足し、麺を引き上げて微妙に混ぜ合わせている。 スープの温度が低めなのは、魚介系スープ、鰹と昆布であろうスープの香りを失わないための工夫と思える。 (透きとおったスープは琥珀色のような色だったので、もしかしたら干し椎茸が入っているかもしれない) そう、スープを飲んだ後味が「味噌汁」を啜った時の後味に似ているのはそのためだと思う。 客数が少なければ、もしかしたら一番出汁を目の前で炊いて注げば、それは素晴らしい味になるのではないかと思ったが、そのような会話をする余裕もなく、麺を箸で引き揚げた。 縮れた卵麺。鰹節の粉のような物がスープに混ざっているため、麺の縮れた部分にその鰹節がからんでいる。 これも計算されてのことか? それとも、ガーゼで鰹節を丁寧に濾し取る事をしていないだけなのか? 本来、私は豚骨のスープはそれほど好きではないが、とろりとしたスープは温度の低下と共に表情を変えるようで、やや温くなったそれは、まさに旨味が甘味と化し、全てを飲み干してもなお恍惚と香りを楽しむことができた。 これはラーメンか?と聞かれれば、ラーメン風のパスタだと答えるかもしれない。 黒胡椒、白胡椒との相性を試したが、黒胡椒の方が好みに合う。 酢がカウンターに置かれていたので、多めに入れて試したが、スープの基本的なベースが良く出来ているので、何をしても美味しくいただけるのである。 今時のラーメン屋らしく、味付けの煮卵やチャーシュウ麺など、メニューが豊富だが、むしろベーシックなラーメンを食した方が、スープを残さず胃袋に入れても後悔することはなかろうとお薦めする。 何はともあれ、店主の徹底したポリシーの上で磨かれた店員の接客態度と、食事という行為に対するデザインセンスは、巷の名ばかりの店舗に見習ってもらいたい素晴らしいものであった。![]()

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