最近、昔の仲間に会って懐かしい話をする機会が増えました。
学生時代の古い仲間に会ったり、仕事仲間、以前勤めていた会社の仲間に会うと、本当に久しぶりなのにわだかまりを感じることもなく、すぐに打ち解けて、会話が弾みます。
何年も会っていないのに、あるいはお互いに違う環境で仕事をしているにも関わらず、以前以上に親近感を感じながら話ができるって素晴らしいことです。そういう瞬間に、「幸せだな」と感じます。身近にいる人と話すことよりも、何年も会っていない人と話すことが幸せに感じるって、不思議なことですね。
昨晩、お会いした昔の仲間たちには、以下のようなことを話しました。
夢とか、希望とかについて
人間は輪廻転生を繰り返す中で、以前の人生で乗り越えられなかった、学ぶことができなかった事をこの人生でなんとか習得し、さらに向上しようと考えて生まれてくる。スリランカの偉いお坊さんの話によれば、夢とか希望を持つという意味は、実は、その人の魂がまだまだ未熟であることを示しているのだという。
どういうことかというと、真に悟りを開いた(完成した魂)の持ち主であれば、喜怒哀楽すらも超越し、自我という意識すらもなく、生きる目的(学ばなければならないこと)すらも既に無くなっているのだという。
(週刊ダイヤモンド 2011年7月2日号 スリランカ上座仏教長老 アルボムッレ・スマナサーラ)
要するに人生の目的は、魂が今生に生まれ出るとき、既に自分自身が「次は必ずこの事を学びたい」と自ら選んで、人生を決定づけているのですが、完成された魂は、学び残したことがほとんどなくなりますから、言い換えると「人生の目的すらもなく、ただ、毎日をひたすら頑張って生きるのみ」なのだという。
悟りを開き、解脱した魂(きっとお釈迦様のような方ですね)では、既に生きる目的というものさえもないのだという。すごい話です。でも僕らは、そんな悟りを得るまでには、まだまだ遠く、今、与えられている環境の中でいかに自分の生きる目的を見出し、その目的に対してがむしゃらな努力をしていけるのかが重要ですよね。
最近、いろいろな事件があったせいで、こういう話をすることが多くなったのですが、改めて生きる目的について考えてみました。
さて、皆さんは明確に「自分の生きる目的、目標はこれだ」と言い切ることができるでしょうか。漠然としたイメージで、いい家に住みたいとか、お金持ちになりたいとか、いい車が欲しいとか、異性にモテたいとか・・・大抵はそういうイメージ、しかも物欲、情欲、金欲、食欲の延長線上で将来の自分を「想像」しているのではないかと思います。あらゆる宗教では、こういった即物的な欲望を果たすために、生きることを制御することを説いていますが、そうではない精神世界の中で人生の目的を明確に言い切れる魂の持ち主というものはめったにおらず、99%の人間は、物欲、情欲、金欲、食欲の延長線上でしか自分の将来のイメージを想像することができないものです。
私自身も、決して例外ではなく、もっといい生活がしたいな(というか、社員や家族にもっと幸せになってほしい)と考える、まだまだ欲を捨てきれない未熟な人間です。
ただ、欲に向かってただ想像しているだけでは、いつになっても前進することはありません。ブッダのように急に悟りを開き、生活や家族を捨て去って、修行の人生を歩もうなんてこともできません。むしろ、今の、この瞬間の生活そのものが我々にとっての学びの場所であり、日々の生活を通じ(たとえその生活が、欲を追いかけるだけのものであったとしても)、一瞬一瞬の時間を無駄にすることはなく、生活に向き合うことで学びを得ることができると信じております。
今年、日本に激震が走りました。東日本大震災です。私はスキューバ・ダイビングを趣味にしているので、被災地の南三陸町志津川には毎週のように潜りに行っておりましたから、たくさんの友人、知人が、この地域で生活をされておりました。あの忌々しい津波が、志津川の街を飲み込んでいく有様は、それはもう大きな衝撃で、友人・知人の安否はもちろん、これまでの人生はいったいなんだったのか、我々はいったい何のために生きているのか・・・と自問自答を繰り返さざるを得ないショッキングな出来事でした。たくさんの方が亡くなり、たくさんの方が家族や住む家を失い、たくさんの方が自殺の衝動に追い込まれているのだといいます。
こういった大惨事に直面すると、人間は本来持っていた魂の叫びを聞くことができます。
「自分の生きる目的は何か、本当の幸せとはどこにあるのか・・・」
日本人に課せられた使命が明らかになっています。すなわち、完全なる核の撤廃、原子力発電に支えられた生活からの決別です。既にお気づきのように日本は唯一の被爆国です。さらに今回、人類が経験した中で最悪の原発事故を、大地震が原因とはいえ「日本人自身の手で」引き起こしてしまいました。広島、長崎の悲劇はまったくもって省みられていないのです。
今、日本人は自らの愚かさを自覚し、世界に先んじて原子力発電からの完全な離別を目的として生きるべきなのです。もし、その取り組みを本気で行おうとするならば、日本人全ての生活スタイルの改善、より効率的で安全なエネルギー生成方法の研究、より効率的な交通システムや都市機能の追求が必要になります。簡単な話ではありません。しかし、その事を明確な国家プロジェクトとして位置づけ、さらに各分野の企業で研究開発をすることが、将来の日本経済の建て直しに大きな力となるでしょうし、先ほどお話しした「欲しかイメージできない、しかもイメージすらもできない」現代人に、明確な「人生の目的(=夢・希望)」をもたらし、導くことができます。
人間は何度も何度も同じ過ちを繰り返す唯一の生物であると、誰かが言ったそうですが、全人類レベルで向上することが簡単ではなくても、少なくとも自分自身においては、同じ失敗をすべきではないと思います。
先日明るみになった事件においても、二度と同じ過ちを繰り返してはなりませんし、我々のように既に外部で独立起業したOBの方々は、やはり、この事件が示すような反社会的な行動を起こしてはならないと心に誓うべきなのです。
また、個人レベルでいうならば、そもそも自分自身が、真の意味で自分を大切に考えていない、その弱さに気づき、明確な「人生の目的(=夢・希望)」を今すぐ持つべきです。いつかきっと、では、永遠に進めません。今すぐに行動に移さなければ何も変わりはしません。



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