皆さんお疲れ様です。9月ももう月末となり秋風が意識できるようになりました。しかしまだまだ日中の蒸し暑さも厳しく、これから日中と、朝晩の温度差が大きくなる日が増えますので、体調を崩さないように注意してください。
さて、9月11日の前後には、10年前のアメリカ同時多発テロ事件に関する報道が多くなされていました。また、3月11日の東北大震災から丁度、半年が経過したことで、防災に関するイベントが多く行われておりました。
その中で、NHKが放映した「歴史秘話ヒストリア」という番組で、今村 明恒(いまむら あきつね)という明治から昭和初期に活躍された地震学者の方のドキュメンタリーを放映しておりました。
今村先生は、1896年に発生した「明治三陸沖地震」を経験し、日本史に記録されている役2000もの大地震の記録を分析し、100年周期で関東地方に大震災が起きていると発見、50年以内に東京での大震災が起きると予知された方です。
「ホラ吹きの今村」と呼ばれながらも、大地震が発生したときの対策方法を国民に対して説き歩き、実際に関東大震災が1923年に発生した際には、功労者として「地震の神様」と湛えられるようになったそうです。 ところが、その後日本は昭和の動乱期を迎え、人々は地震に関心を持たなくなってしまったそうです。
しかし、今村は私財を全て投じて全国に地震観測所を自力で設置し、その後も研究を続けた結果、東南海地方に大地震発生の予兆があることを発見。直ちに、政府に対し警戒を強めるよう申し出たそうです。しかし、大日本帝国の拡大に躍起だった日本政府は、そのような声に耳を傾けるはずもなく、なんの手だてもしなかったとの事でした。
しかし、そんなことにもめげず、今村は当時の小学校教科書に地震発生時の心構えや対応について記載し、いざという時の為の知識を広めるべきだと主張したのです。そして、小学校教科書に掲載されたのが、1854年の安政南海地震でのエピソードを基に、小泉八雲が書いた「A Living God稲むらの火」だったのでした。
「稲むらの火」の概要を紹介します。 村の高台に住む庄屋の五兵衛という者がおり、地震の揺れを感じたあと、海水が沖合へ退いていくのを見て津波の来襲に気付く。祭りの準備に心奪われている村人たちに危険を知らせるため、五兵衛は自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に松明で火をつけた。火事と見て、消火のために高台に集まった村人たちの眼下で、津波は猛威を振るう。五兵衛の機転と犠牲的精神によって村人たちはみな津波から守られた。 ...というストーリーでした。
この教科書の内容を小学生が読み、先生が、「地震が来たら高台に逃げる」という原則を教えたのだそうです。しかし、実際には、1944年。終戦直前に東南海地震が発生。1946年には南海地震が発生し、合わせて2500名以上の死者・不明者が発生してしまったのです。このニュースをラジオで聞いて、今村博士は愕然としたそうです。今までの苦労は何も成果を生まなかったのかと...。
この地震発生の1年後、今村博士は他界してしまうのですが、その後の調査で、実は高知県の町役場から今村博士宛に感謝の手紙が届いていたことが発見されたのだそうです。その手紙には、「先生の教え通り、地震の後、皆で高台に逃げたことで、津波で命を落としたものは一人もいなかった。ありがとうございました。」と...。
神武天皇即位から数えて、西暦2011年は皇紀2671年と言われますが、その間、2000回もの大地震が記録されているのです。
日本という国は地震と共生して生きていかなくてはならないのです。そのためには、何か月、何年、経とうとも、3月11日の出来事を忘れてはいけません。そして、自然災害ではなく、明らかに人災である福島原発事故を忘れてはいけません。
日本人である以上、地震や津波に関しては、世界中の誰よりも知識を持ち、被害を最小限に食い止める技術や知識を身に着けなければなりません。 私は今、放射線線量計センサーのシステムを企画しております。現実のものになるかどうかは分かりませんし、当社だけの力では到底、実現はできない大きなシステムになる予定です。
もしこの提案が、日本の政府やあるいは大企業がバックアップし、そして地域の個人個人が意識を持って参加してくれれば、日本人が犯してしまった大罪=原子力開発に対する稚拙な歴史を少しでも人類の未来に役立てることができるかもしれないと考えて企画しました。
私には、今村博士のように地震測候所をネットワーク化するような財力もありませんが、このNHKのドキュメンタリー番組を見て、今の自分の気持ちがとても昂るのを感じました。 私欲を滅して大衆の為に活動する精神...矛盾するようですが、実は企業価値も同じ場所にあるのではないかと考えています。私も今村博士のように生きてみたいと強く思います。